敗戦 やっと戦争が終わった

―なぜ三二〇万人も殺されたのか―

 

マッカーサーと昭和天皇
マッカーサーと昭和天皇

敗戦したとたんに、天皇も財界も官僚も政治家も平和主義者のような顔をした

 「最近、『天皇メモ』ということがいわれているが、天皇陛下はあんまりだ。みんな、天皇の命令による赤紙で出征し、『天皇陛下のために』『お国のため』としんでいったのではないか。それでは亡くなった戦友、兵士たちはどうなるのか。開戦のときに御前会議がもたれ、そこで『戦争をする』と決めたのではないか。それならばなぜ、そのときに『戦争はしない』といってくれなかったのかと思う。そしてまた、アメリカが原爆を落とす前になぜ『戦争をやめる』といってくれなかったのかと思う」

(下関市 傷痍軍人)

 

天皇を免罪し東条英機ら軍部の責任とした東京裁判
天皇を免罪し東条英機ら軍部の責任とした東京裁判

われわれの時代がやってきた

       降伏占領を歓迎した財界

「(日本の敗戦は)必ずしも不幸なことばかりではない。われわれは今後、愉快に仕事が出来ると思うからである。……今までは軍部の掣肘を受けて自由に外国との通商もできなかったが、これからはそれができる。日本の再建も可能である。」

(三菱財閥統帥・岩崎小弥太)

 

「いよいよ終戦ということがわかっったのだが、その席上、鮎川義介、浅野良三両氏の喜びようといったらなかった。鮎川さんはかねてから日米協同の企業を念じていたうえに、フォードとはよく知りあった仲だし、浅野さんは青年時代アメリカに遊学し、故ルーズベルト大統領と親交を結び、アメリカにはたくさんの知己をもっていた。だから終戦ときくや否や、『自分の時代が到来した』と歓喜し、すでに早くもその顧問会議で、来るべき時代の設計をはじめていた」「終戦と同時に、軽井沢で『われわれの時代がやってきた』といって、シャンパンを抜いて祝杯をあげた人がたくさんいる」

(藤山愛一郎『私の自叙伝』)

 

日本はアメリカの属国になった

米占領軍に守られて巡幸する昭和天皇(神戸)
米占領軍に守られて巡幸する昭和天皇(神戸)

民主主義の装いで人民抑圧

「アメリカ占領軍は民主主義のような顔をして日本にやってきたが、実際にかれらがやったことは、日本の労働者階級、都市勤労人民、農民や中小ブルジョアジーを抑圧して、独占ブルジョアジーの反米の牙をぬいてアメリカのいいなりになる勢力にかえ、比較的短い期間に支配者の地位につけていく。こういうことを45年から50年までのころにやった。このようにアメリカは、一方では日本をかれらの従属国のようにし、他方では、1950年には、日本を基地として朝鮮侵略戦争をはじめる。日本の独占ブルジョアジーはこの侵略戦争に積極的に加担することによって、朝鮮人民の血にまみれたドルを稼ぎ、肥え太っていく」

(福田正義「幾千万大衆と共に」)

 

占領された市民の屈辱

アメリカに終戦はなかった

朝鮮戦争で38度線を視察するダレス国務長官
朝鮮戦争で38度線を視察するダレス国務長官

日本を基地に休まず中国、朝鮮、ベトナムへ

「ドイツのヒトラーもイタリアのムッソリーニも死んだが、日本の天皇だけは生かして、アメリカがそれを利用した。アメリカは戦後、財閥解体や農地改革、婦人参政権などをやったが、日本を支配するためのテクニックだった。財閥解体も鬼畜米英ではなく親米にしただけで、すべてアメリカの都合のいいものをつくっただけだった」

(大分県 宇都宮六男)

日本を基地に朝鮮戦争に出撃する米軍機(岩国)
日本を基地に朝鮮戦争に出撃する米軍機(岩国)

被爆者はモルモットか

診察はするが治療はしない。アメリカ軍がつくったABCCは、被爆者をよび出して、娘さんを裸にし、出生した赤ちゃんまで来させ、原爆が人体に与えた威力を追跡調査し、データーを集めるだけだった。
診察はするが治療はしない。アメリカ軍がつくったABCCは、被爆者をよび出して、娘さんを裸にし、出生した赤ちゃんまで来させ、原爆が人体に与えた威力を追跡調査し、データーを集めるだけだった。

「原爆未亡人」の苦労

…母は 今日も あの原爆で不自由な体で くわをふるっている(「原子雲のしたより」)
…母は 今日も あの原爆で不自由な体で くわをふるっている「原子雲のしたより)

配給された食料の袋を肩に家路を急ぐ少女(長崎)9月上旬(松本栄一氏撮影)
配給された食料の袋を肩に家路を急ぐ少女(長崎)9月上旬(松本栄一氏撮影)

廃墟の苦しみから

横川付近に建ったバラックと住民(広島)10月15日(菊池俊吉氏撮影)
横川付近に建ったバラックと住民(広島)10月15日        (菊池俊吉氏撮影)

「どろぼうして こじきして 雨の道路をうろついた」

●新着情報

2023年11月に山口県岩国市西岩国駅ふれあい交流館で開催された「原爆と戦争展」のご報告と、アンケートを掲載いたしました。

▶詳しくはこちらから

●更新情報

8/17 ご来場者の声・アンケート掲載

7/15 開催案内 掲載

戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。 

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