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2015年11月 楠供用会館 開催

岩国市楠供用会館「原爆と戦争展」記事

 山口県岩国市楠町で「原爆と戦争展」が2015年11月21日(土)・22日(日)、楠供用会館で岩国クスの会主催で開かれました。会場には被爆体験者、戦争体験者、婦人、親子づれなどの人々が参観されました。

 

 

パネル展示を見て「安倍さんになってから戦争に向かっている」「二度と戦争をしてはいけない」などの共通した声がだされました。

 

15.11.27

 


「原爆と戦争展」

日時:2015年(平成27年)

    11月21日(土)~22日(日)

場所:山口県岩国市楠町1-10-16

    楠供用会館

●入場無料

■主催:岩国クスの会

■協賛:岩国原爆展を成功させる会


ご来場者の声

終戦の時、小学校3年生だったという婦人は…

「防空壕は学校の校庭に穴を掘ってその穴の中に入るだけだった。校庭は芋畑だった。」食料がなく貴重な食料だった。やせた土なのでスジのような芋だった。米はわずかな配給で、大根粥が続く毎日だった。だから親は子供たちに食わせるためにいうにいわれぬ苦労をした。子どもたちは毎日ひもじい思いをしていた」と当時の状況を話されました。

 そしてパネルを見て「当時の事がよみがえってきた。原爆や空襲によって罪もない老若男女が殺された。岩国空襲も体験した。当分穴だらけでした。

 

 

 

戦争がいかに酷いものか、二度と戦争をしてはいけない」「しかし、今の安倍さんの政治は戦争に向かっていくような感じで怖い。安保法を強引に成立させ、これから自衛隊がアメリカと一緒に、海外で戦争すれば自衛隊に犠牲者が出てくる。戦場では、前線も後方も変わらない。そうなると自衛隊に入隊する人が少なくなり、徴兵制になるのではないかと不安になる。孫やひ孫のことが心配になる。だから安倍政権は怖いです。絶対に戦争を許してはいけません」と強調されました。

 

 

 


15才で海軍少年飛行兵として防府の海軍通信学校に昭和20年3月に入学した男性は…

「飛行兵としてではなく通信兵として採用された。当初はモールス信号や手旗などの訓練だったが、ソ連が参戦したからということで、通信の訓練を止め、タコつぼ作戦と称して、グランドに人間一人が入れる穴を掘り、その中に隠れていて竹やりの先に火炎瓶をつけ、ソ連の戦車が来るのを待ち伏せして、戦車を爆破させる訓練を一か月ぐらいやった。8月15日に舞鶴から潜水艦で、朝鮮にわたることになっていた。14日の夜、学校より”明日天皇陛下の玉音放送があるから朝鮮行きは中止になった”と、命令が出た。玉音放送を聞いても内容がよく分からなかった。上司からは”ソ連が参戦したから努力せよ”ということだと訓示があった。みんなおかしいと思っていたが、その日に終戦になったと発表があった」と体験を語られました。

 

 

 

 

 そして「いま、思えばこのような訓練で勝てるはずもないと思うが、当時は負けるなどとは思ってもいなかった。そういう教育をされてきた。今日ではやり方は違うが、安倍政府は安保法を成立させ、再び戦争の方向に踏み出そうとしている。アメリカのために戦争に基地も自衛隊も金も提供する安保法である。戦争になれば一部のもの者は得をするが、多くの国民は犠牲になる。大戦の教訓は二度と戦争はしないということである。今の憲法も戦争放棄をうたっている。その憲法を解釈で変えアメリカと一緒の戦争をしようとしている。安倍政権をいつまでものさばらしてはいけない」とのべられました。

 

 

 

 

 


16歳で呉の ”幻の特攻隊”に入隊したという男性は…

「飛行機もない、すべてがなくなった時に、潜水服を着て海に潜り、20キロの火薬を棒の先につけて、縦横50メートルの間隔で待っており、上陸してくる船を海底から爆破する訓練をしていた。訓練中に相当若者が死んだ」と当時の体験を話し、「こうしたパネルを見ると当時の事が甦ってくる。とくに若い人たちに見てもらいたい。その時代の歴史を知ってもらい、二度と戦争は起こしてはいけないという思いになってもらいたい。そして社会に対して自分にできることをやってもらいたい。自分さえ良ければいいという考えでなしに、みんなのために役立つ人になってもたいたい」と感想をのべられた。

 

 

 

 そして「岩国の川下は、戦後海軍の飛行場を米軍に取られ、基地は拡張に次ぐ拡張で多くの住民がここ楠に移転してきた、今日、基地は沖合に拡張され、現在も基地内や基地外で、空母艦載機59機の移転のための準備がすすめられている。それにともなって米兵も増える。基地は戦争するためのものだ。そのために人殺しの訓練をするところだ。米軍は日本を守ってくれるとよく聞くが、そんなことはない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン・イラク戦争など日本を基地にして侵略戦争を繰り返してきた。そうしたアメリカにいつまでもいいなりになる必要はない」とアメリカ追随を批判されました。

 


広島で被爆したという89歳の男性は…

「終戦前は食料もなく、仕事もないので結局、陸軍か海軍しかなかった。よく分からずに陸軍の特別科目に志願して入った、そこは特攻だった。みんな特攻隊に志願していたが、私は死にに行くようなとこは辞めると言ったら認められ、広島の船舶通信へ配属になった。そのため、千田町小学校で被爆した。校舎の下敷きになり当分意識がなく、気がついて一人ではい出た。運よく足を怪我しただけだった。火傷はしていなかったのでたいしたことはないと思っていた」「戦後、岩国の帝人製機に入社した。それから3年ぐらいたってから、下痢をしたり、体がだるくなったりして、仕事もちょくちょく休むようになった。被爆手帳ももらった。どうにか定年まで勤めた。

 

 

 これまで家族に被爆したことは話してはいないが薄々は知っていると思う。今日はこうしたパネルを見る機会があり、話す事が出来たと思う。日頃はこうした機会もないし話す事もなかった。安倍さんになってからアメリカの言いなりがひどくなった。戦争になるのではないかと気にかかる。何かにつけてアメリカ一辺倒だ。沖縄県の知事のようになぜ基地に反対しないのか。日本の首相だから沖縄県知事と一緒になって基地反対をするのが当然だ。アメリカの言う事は、はいはいと聞いて、沖縄県民の声を聞かない。狂っているとしか言いようがない。岩国もどんどん基地が拡張され、市長は市民の声を聞こうとしない。戦前の状況によく似て来たと思う。とにかく戦争をしないようにしないといけない」とその思いを語られました。

 


アンケート

女性 81才

昭和16年に戦争が始まり、日本がどんな目にあったかを、今の若い人達や子供達に伝えるべきだと思う。しっかり伝えて下さい。

 福島の原発事故についても、以前チェルノブイリの事故があったのに日本は原子力発電所を作るのでしょうか。

 この原発事故や戦争や原爆の事を、今の若い政治家にもしっかり伝えるべきだと思う。

 

無記名

私の身内から2人が原爆で死にました。

2人とも中学生でした。

 戦争は2度と起こしてはいけません。

日本中の人々に見えるようにして下さい。

 

 

 


お話をうかがわせていただいた皆様、アンケートにご記入いただきました皆様、ありがとうございました。

●新着情報

2023年11月に山口県岩国市西岩国駅ふれあい交流館で開催された「原爆と戦争展」のご報告と、アンケートを掲載いたしました。

▶詳しくはこちらから

●更新情報

8/17 ご来場者の声・アンケート掲載

7/15 開催案内 掲載

戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。 

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