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岩国空襲体験談 「青果市場に並べられた遺体」 石川 ハル子

 (平成21年5月発行 冊子 空襲の時代を生きてより)

青果市場に並べられた遺体

 

石川 ハル子

 

 私の住んでいる裏山には三つの防空壕があった。急に空襲が始まったので、子ども三人(小六、小三、小一)をつれて防空壕にかけこみ、蒲団を頭から被っていた。ドスン、ドスンと大きな地響きとともに蒲団が上下に大きくゆれた。落ちついたようなので、蒲団をとってみれば壕にはもう誰もいなかった。急いで帰ってみると、家はあったが障子などめげていた。

 婦人会からてご(手伝い)に行くようにいわれたので、爆心地(駅)に向って歩いていったが、爆弾の跡地から人間の頭や足などがのぞいていた。

 「青果市場に運ぶように」といわれ、遺体を戸板にのせて運んだ。沢山の遺体が野菜を並べるようにならべてあった。その中には頭が割れてそこから白い脳みそが出たり、誰が誰ともわからない顔になっていた。それを見た私は、恐ろしいやら、可哀そうやら、酷いやら、なんともいえない気持になった。あの時のことは決して忘れることはできない。

 私の夫は、支那事変(日中戦争)が始まってから三回も召集をうけて戦地にいった。戦争が終わっても夫は帰ってこなかった。戦死の公報が届いたのは二年近くも経ってからで、それによると夫は昭和十九年に朝鮮の済州島沖で、アメリカの潜水艦による魚雷で亡くなったということだった。だから葬式と三回忌の法事を一緒におこなった。夫は三十六才だった。

 おじいちゃん、おばあちゃんも早死にされ夫をなくした私は、戦後なによりも子どもを真っ当に育てんといけんと心を引きしめて一生懸命働いてきた。おかげで三人の子どもはまともに育ってくれたと思っている。私も今日まで元気で生かしていただいている。これも亡くなった夫や祖父母が、「お前はなごう(長く)生きいよ」といって自分を守ってくれているおかげと感謝している。今の社会は親殺し、子殺し、女の子が親に薬(毒)を飲ませたり、自分中心の風潮に心が痛みます。

 岩国基地がさらに大きくされようとしています。この辺りも飛行機の爆音が大変やかましい。テレビで戦争のことや人殺しなどが映されると切ります。もう二度と戦争を許してはならないと思います。

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