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福島原発:福島原発事故

その後白血病、ガン …そして死んでいった。

その後白血病、ガン

 

…そして死んでいった

爆心地から約1㎞の舟入町の木造家屋で被爆した姉と弟。被爆後2カ月ごろから頭髪が抜け始めた
爆心地から約1㎞の舟入町の木造家屋で被爆した姉と弟。被爆後2カ月ごろから頭髪が抜け始めた

  広島・長崎の放射能の経験

 ▸ 原爆の恐ろしさを思い知ったのは爆発の威力もあるが、それ以上にその後の放射能被害だ。当時は、「新型兵器」というだけでなんの情報も流されず、生き残った市民は廃墟になった市内の後片付け、生存者の捜索、膨大な遺体の処理と遺族への遺骨の引き渡し作業をやり続けた。

 

 すると8月20日頃から、まったく無償だった人たちが、急に脱毛、発熱し、血を吐いたり、紫の斑点が体中に現れ、苦しみもだえて死んでいった。私の職場でも直爆による死者よりもその後の二ケ月で死んでいった人の方が多かった。

 

私も69歳で大腸がんを患い、続いて化膿性骨髄炎を併発しておよそ三年間、病床で生死の縁をさまよった。同じく10代、20代で被爆した人が同時期にガンになり、今第二期のガン発病期を迎えている。放射性物質からまき散らされる中性子は細胞内の染色体を破壊する。バラバラに切断された染色体が修復しようとするときに別の個体とくっついて異常な細胞が生まれる。若い人ほどガンの進行が早いように、細胞分裂が盛んな時期ほど影響を受けやすい。

 

広島と長崎は、今でも被爆の苦しみが続いている。だが、戦後の日本政府はアメリカの顔色をうかがって被爆の真実を日本全国に伝えてこなかったし、「原爆によって戦争が終わった」と正当化するアメリカのいいなりだ。

(広島市・85歳・男性被爆者)

 原爆ではみんな人間の死に方ではない。津波どころではない生き地獄だ。男、女、子ども、年よりも区別がつかない黒焦げの死体が散乱し、息のあるものも水を求めて川へ飛び込んで死んでいった。その後も、無償の人たちが白血病や原因不明の奇病でバタバタと死んでいく。医者も原因がわからず、薬も食べ物もない。七人兄弟のうち、長姉は臓器に次々とガンを患い、2年前に両乳房のガンで苦しみながら他界した。妹は、40代で白血病を発症して幼い娘や息子を残して亡くなり、弟も60代で肝臓ガンで亡くなった。「戦争が終わって平和になった」といわれるが、私たちには苦しみのはじまりでしかなかった。それが原爆であり、放射能だ。それを知りながら我欲に駆られて原発をつくってきた政府や電力会社こそ痛みを味わうべきだ。

(長崎市・80歳・婦人被爆者)

 

 母に連れられて市内に入ると、ぞろぞろと人間にみえないほど焼けただれたひとたちが幽霊のように歩いて行く。首がない赤ん坊を背負って必死で逃げていく母親もいたが、だれも教えてあげる余裕もない。私たちも死体をまたぎながら市内へ入った。原爆がなにか、放射能がなんなのかもわからないまま数日を過ごし、その後数週間、家族全員が下痢が続き、脱毛がはじまった。母は、それからずっと病床に伏すようになり、最後は白血病と肝臓ガンを併発して9年後に亡くなった。

 白血病は、はじめに寒気がして咳がでるなど風邪と同じ症状になり、免疫力がないのでそのまま弱って死んでいく。なんの情報もなく、だれも放射能の影響とは思わないので当時は「肺炎」と診断されていた。私の同級生も次次に死んでいって「明日は我が身」の心境だった。主人も50年たって体中に紫の斑点が出て、白血球が減り、最後は動脈癌で亡くなった。兄弟五人のうち三人がガン、二人が白血病で死んだ。

 (長崎市・71歳・婦人被爆者)

 

 

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2023年11月に山口県岩国市西岩国駅ふれあい交流館で開催された「原爆と戦争展」のご報告と、アンケートを掲載いたしました。

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戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。 

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