福島原発

福島を必ず復興させる

福島を必ず復興させる

原爆展キャラバン隊 福島県内で行動

真剣にパネルを見る若者たち(6月6日、郡山駅前)
真剣にパネルを見る若者たち(6月6日、郡山駅前)

福島駅前

 南相馬市の自宅から避難して、郡山の親戚の家で暮らしている。父は一カ月後に顔がパンパンに膨れ上がった水死体で見つかった。家は全壊し、車も流されて、財産をなにもかも失い、これからどうすればいいのかわからない、ただ今日パネルを見て広島も長崎も今よりひどい状況下から立て直している。その被爆者が立て直している。その被爆者が立て直せないわけがないと語られていることには希望が持てた。南相馬市は農業や漁業など第一次産業に携わる人が多い。必ず元に戻したいし、農漁業の立て直しが一番だ。

 

会津若松市 明神商店街

 今の日本は完全にアメリカの植民地といっていい状態だ。この根本的な支配から考えて東北の復興もエネルギー政策も転換していかないと日本はいつか破たんするのではないか。政府も東電も復興より勢力拡大のために必死になっているとしか思えない。強制避難させられている人たちを元の生活に戻してほしいという思いは強いが、「危険だ」と不安を煽るばかりで復興が進まない。日本の政府には国をまとめる力もなく、アメリカにされるがままに従ってきたことが証明された。戦後からの経験を改めて学びなおすことはいい機会になる。      

(30代 男性)

 

 復興ビジネスが動いているというのは十分あり得る。「お前らの命なんてどうでもいい」という政治は戦時中と同じだ。仙台辺りではホームレスが増えていると聞く。家を失った人たちが仕事もなくて生活できないが、「自己責任」といっているようだ。会津若松市は震災前から失業率が5%を超えていた。半導体関係をはじめ製造業が人件費の安い後進国に工場を移している。以前は中国が多かったが、今はベトナムやタイ、バングラディシュに行っている。国が何とかしてくれるという考えはなくさないといけない。「頑張ろう東北・福島」というが、実際は「我慢しよう東北・福島」だ。消費税も10%、年金は支給年齢を上げて額を減らすのではないか。震災を利用するかのような汚い連中ばかりの政治家は国民の前に立って政治をやる資格なんてない。

(60代 商店主)

 

郡山駅前

 アメリカはイギリス辺りで食えない者が新天地を求めてアメリカに行き、インディアンを殺してできた国だ。泥棒が裁判官になるような国に従っていたら日本の明日はない。前の戦争で財をなして涼しい顔で延命をはかっていった者たちの二世、三世が今の政治家。新聞各紙もアメリカと同じで80キロ圏内は取材に来ない。郡山に来ているのはフリーライターだけだ。御用学者も金で真実を曲げる。国会議員も市長も医療関係者なども家族はみな疎開させ、金もなくてどこにも行けない人たちがここで放射能を浴びている。原発立地の双葉町は箱物はたくさん建ったが内実は維持費でやっていけず財政再建団体になった。国民が全国にネットワークをつくって立ち上がらないといけない。

(50代 男性)

 

南相馬市

 すべての情報を伝え、それを知って自分たちが判断するというのが民主主義の原点ではないか。今回の震災後も都合の悪いことは伝えず、爆発時もただの水素爆発だといっていたが、後で「メルトダウンしていた」と出した。腹の立つことばかりだ。国会も菅降ろしをする暇があったらさっさと瓦礫を撤去しろといいたい。今66歳で、セシウムの半減期が30年、その前に別の病気で死ぬだろう。だったら南相馬市に残って復興のために尽くす。仮設住宅を建設しているのは積水ハウスで、大企業が金をもらい町には落ちない。資材調達ができるからというなら大企業が資材を出して、地元の被災者を雇用するべきだ。復興が別の形で進行している。

(66歳、男性)

 

二本松市

 アメリカは2種類の原爆を使って日本人を研究のモルモットにした。戦争終結のためというが日本の敗戦はだれが見ても明らかだった。さんざんバカにされたうえに今でも米国従属を続けていることが、どれだけ悔しく腹が立つことか。「絶対安全」の下に推進されてきた原子力発電は、一度事故を起こせば核兵器と全く一緒。環境どころか人間の生活まで破壊されている。なぜそのような危険物が日本中に建設されたのか。戦中・戦後の歴史から改めて学び、対米従属ではなく日本人の誇りを胸に根本的なところから国を再建することが重要だと思い知った。

 (50代、男性)

 

 中通り地区は大動脈。ここから人がいなくなったら高速道路もJRも動かず物流も動かない。それでは東北が終わり、日本がつぶれる。だから復興のためにここに残り、福島を守る。今から大事なのは団結だ。日本人がこのままアメリカに従っていくのか、どうするのか本当の過渡期だ。デモをやるぐらいのことをやらないと変わらない。一人一人の力は小さいが、行動を促していくうえでも、こういう展示をあちこちでやり続けることは大切なことだ。

(60代、元中距離トラック運転手、男性)

 

仙台駅前

 津波で流された町は戦後の焼け跡と同じように見えたが、当時は今以上に食料も物もないなかで戦争体験者の努力で復興し、今の日本社会があることを改めて考えさせられた。広島や長崎の被爆者の方々が応援してくれているのを見て勇気をもらった。もっと若者が戦争の真実を学び、二度と戦争のない世界をつくっていかなくてはいけない。

(20代、専門学校生、女性)

 

 国会では大騒ぎしているが、菅おろしなどどれも被災者救済の思いから発せられたものではない。日本は一つ、被災者救援、復興だというが、まったくそうなっていないことに腹が立つ。原発の補償も結局電気料金の値上げと消費税増税といって、国民をバカにしている。原爆を体験している日本でまた原発事故が起こったが、アメリカに従ってきたからだ。原発が爆発したときは不安で、自分もあとどれだけ生きられるかと考えたが、なにか行動しなければと思っている。原発で次にまたなにかあったら福島県民は爆発するし、こうなったらデモとか行動を起こさないといけない。震災ビジネスや核廃棄物処分場に福島県内を狙っていることは地元でも知らされていない。まずは真実をよく知り、知らせていきたい。

(南相馬市出身、専門学校生)

 

 第二次世界大戦はなんだったのか。なぜ戦争が起きたのか。真実を知り二度と戦争がくり返されることのないよう若い人は団結して頑張ってほしい。震災で大変な事態だが、日本人は力を合わせれば強いし戦後も乗り越えてきた。絶対に復興させるんだ。

 (戦争体験者、男性)

 

 

 

●新着情報

2023年11月に山口県岩国市西岩国駅ふれあい交流館で開催された「原爆と戦争展」のご報告と、アンケートを掲載いたしました。

▶詳しくはこちらから

●更新情報

8/17 ご来場者の声・アンケート掲載

7/15 開催案内 掲載

戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。 

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